時として経験が技術を上回ることがある。

春になりました。
市民大会のシーズンです。


以前の記事はこちら。

もはや反省などしないけど、思い出にはなるかなと。

春もあれば秋もあるのが日本という国ですね。

ということでこの春の大会の結果など。


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【一回戦】
13-14
19-21
26-21
31-30


1点差で勝利(!)
相手の方がどうやら3つぐらい年上のチームだったようです(後から聞いた)。
でも技術は相手の方が上手くて、2Qまで2点差で食らいついていたのが信じられないくらい差があったように感じました。
特にインサイドが強くて、なかなかリバウンドを取れなくて苦しかったものの、こちらのシュート成功率がこれまでの大会では考えられないほど良くて(笑)、そのへんで離されずについていけた要因でしょうか。
3Qに入ると、相手の足が完全に止まってこちらの速攻が決まり出しました。
このクオーターから2-1-2のゾーンディフェンスにしたのもタイミングよくハマったようで、相手のインサイドを潰しつつ、ディフェンスリバウンドからの速攻で点を重ねる展開に。
ただ、相手も要所は押さえてきて決定的な点差まではならずに最終Qへ。
こちらも足が動かなくなってミスを連発すると一気に点差が詰まり大ピンチ。
29-30で負けてて、残り15秒を切ってから、疲れたプレイヤーにわざと打たせるという荒業(笑)を使ってリバウンドをキープ、そして速攻!
たまらず相手がファウルで止めたのですが、すでにチームファウルが4つをオーバーしていたのでフリースローを2本。
2本ともきっちり沈めて逆転に成功!
この時点で残り1.6秒(!)
いやーアツいゲームでした。
フリースローを決めた彼がこの日のスターだったのは言うまでもありません(笑)。


【二回戦】
10-12
20-20
40-40
50-47


またもや接戦。
今回の大会は、通して外のシュートがよく入りましたね。
この試合、ぼくも3ポイントを2/2でしたし。
他のメンバーも含めて10本弱決めたんじゃないでしょうか。
9本でも27点なので、半分以上が3ポイントシュートということに。
その代わりあまり速攻はなく、ほとんどゆっくり崩して攻めるパターン。
まあこれはいつものことか(笑)。
1Q、2Qは普通に点の取り合いでした。
互いにディフェンスをきっちり守って、じっくり攻める感じ。
3Qから一気にペースアップ。
相手のポイントガードの11番に当たりが出始めて、連続で3ポイントを沈められましたが、こちらも相手のゾーンを中外中で崩しつつ外から決め返す。
気がつくと前半の得点を3Qだけで入れてしまい、勝負の4Qへ。
お互いここまで自分たちのペースにできずに接戦になっているので、ここからが主導権の握り合い。
一進一退でせめぎ合いつつ、こちらがフリースローなど要所できっちり決めて50-47となり、残り5秒で相手ボール。
こちらとしては、2点は決めさせてもいいので焦らず3ポイントだけきっちり警戒していたので、相手は焦ったのか痛恨のパスミス(!)したところで試合終了。
なんと初めての二回戦突破なのでした。


【三回戦】
5-4
14-12
24-20
34-30


また接戦(笑)。
ここまでの三試合、チーム力にあまり差を感じなかったです。
相手も弱いわけでなくて、まあお互いどっこいどっこいかな、といったところ。
さてこの試合、相手は前情報では平均26~7歳の若いチームって聞いてたんですけど、ふた開けたらそんなに若いって感じもなし。
まあ、二回戦のチームよりはよく走ってました。
そうそう、ほかの試合も見てて思ったんですけど、この大会、3-2(もしくは1-2-2)ゾーンディフェンスが結構多い。
なんか意外なんですけど。
市民大会でゾーンっていうと2-3(もしくは2-1-2)が定番なんですけどねえ。
ガードにプレッシャーをかける、という意味では3-2のほうがやりやすくて、スティールしたらほぼ確実にワンマン速攻になるのでそういうメリットはあるのだけど、その分インサイドの特にゴール横とハイポストはスペースが出来て弱点になるので、そこを突かれると痛いですね。
組立の上手いガードが減ってるんですかね。
NBAだとレブロン・ジェームスみたいな点もとってゲームも作っちゃうよ、みたいなガードが多くなっている印象ですが、そういうプレイヤーは意外とこういうゾーンに引っかかったりするのかと。
結局、点差は4点でしたけど、一、二回戦に比べるとあー負けるかも、って感触はなかったなあ。
実際は点取り合戦でも、なんというかイメージ的にはずーっと4点差をキープしていた感じ。
ということで
まさかの予想外の三回戦突破であります(笑)。


【準々決勝】
0-24
4-43
12-53
16-67

いやーホントまさかのベスト8
毎度ほぼ一回戦負けが嘘のようです(笑)。
しかも人数も少ないのに。
ただ、ぼくとしてはほどほど人数が少ないほうが、ゲームに出ている時間が相対的に長くなるので、ゲームに「入りやすく」て良いんですけど。
それはともかくこの試合、点差をみていただければわかりますが、特に語るべきところもありません。
ま、はっきり言って実力が違いすぎるというか(笑)。
強いチームってすごいプレーがいっぱいあるのではなく、とにかくミスしないんですよね。
ゴール近くでフリーになればまず外さないし、不用意なパスやファウルもしない
この日二試合目だったので、足があまり動かなかったというのもありますが、1Qで全然得点出来る気がせず、このまま無失点試合でもされちゃうのか?と思ったらちょっと脱力して、メンタルとしてはいい感じでしたね。
毎回この試合みたいなメンタルで試合できるといいな、と思いました。
ある程度長い時間ゲームに出ている必要があるとは思いますが…。


トータルとしては、やっぱり練習に来てないメンバーを出すのは危ない感じがします。
足が動かず、ゲーム勘も悪くなっていて、ディフェンスではつい手で止めに行ってしまい、開始3分でファウル3つとか…
その日メインのプレイヤーとサブのプレイヤーの区分けは事前にしておいたほうが、ケガの防止にもなっていいような気もするのだけど。
とはいえ、サークルなんだから楽しくやろうよ、というのも否定する気はないのでなんとも。

また秋を楽しみにしようと思います。

捗ったからお菓子まで作ってしまった。

先日、奥方と子どもたちが、息子の幼稚園が春休み中ですので、じいじとばあばに会いに帰省してきました。
仕事のある自分は家に一人です。

なので、普段の休日は子どもたちと強制的に遊ばされるところ、家事などいろいろはかどってしまったわけで。
掃除、洗濯など一通りやっつけたところで、twitterなどチラチラ見て一休み。
ふと、しばらく前にNAVERまとめで見た、炊飯器ブラウニーを作りたくなったので、買い物に。
最中にどしゃ降りになってまいったけど、無事材料調達完了。

参考にしたのはこちら。
http://recipe.rakuten.co.jp/recipe/1530000208/


板チョコは明治ミルクチョコレートを使用。
卵はMサイズ。

さてまずは卵黄と卵白を分離

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黄身をひとつ割れてしまった…が、なんとか分離完了。


卵白を泡立てます

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ふー。
すでに二の腕が張ってまいりました…。

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ええーい、まだまだー!
ぐうぅぅぅ、しんどい。
あれだ、ハンドミキサーって多分買ってもほとんど使わないと思うんだけど、今なら2倍の価格でも買ってしまいそう(笑)。

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ぷはー。
まあこんなもんでしょ。
二の腕と手首が猛烈にパンッパンだわー。
つーことで次はチョコレートを溶かすぜ

こんなふうに粉々にして。

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沸いた湯の中にボールを突っ込みます。
いわゆる世間で言うところの「湯せん」でございます。

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いい感じに溶けてまいりました。

で、こいつにまずはさっき泡立てた卵白をぶち込み、まざったところで卵黄もぶちこみ、隠し味に冷凍ブルーベリーをレンジで解凍してぶっこみました。


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で、まざったところで炊飯器に投入
普通炊きでスタート!
さてどうなることやら。

それにしても炊飯器でご飯以外をつくるって誰が考えたんだろうね。
「炊飯器 レシピ」とかで検索するといっぱい出てくるもんなあ。
確かに低温~中温でじっくり調理するものには向いてるんだろうね。
ご飯を炊くときにラップにくるんで生卵入れておけば、炊けたら温泉玉子ができる、なんてのもあったし。
普通に温泉玉子作ろうとおもったら、時間とか温度とか結構めんどくさいのに、炊飯器なら突っこむだけでいいなんて、ビバ!炊飯器!だね(笑)


そんなくだらないことブチブチつぶやいてる間に。
できましたー。

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すぐ取り出しちゃうとくずれちゃうらしいので、あら熱が取れるまで放置


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2時間ぐらい放置して取り出し。
なんかずいぶんちっちゃくなったように感じるけど、ブラウニーって冷えるとちっちゃくなるらしいね。
切ってみます。

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ふむ。
なかなか美味でございます。
ブルーベリーの酸っぱさが思ったりよりなくて残念。
奥方には「ブルーベリーないところがおいしい」と、褒めてんのかイヤミなのか微妙な(笑)コメントをいただきました。

ま、簡単だったし、また捗るときにやってみましょうかねー。
今度はブルーベリーなしかな(笑)。



スタンダードに飽きたらニッチも試してみたくなるとか。

朝食はコーンフレークを食べることが多いです。
近くのスーパーで1箱168円で売っているので、よく買うのが日清シスコのシスコーン
はじめは「フロスト」(プレーンに砂糖がけのやつ)と「チョコ」(言わずもがなのチョコがけ)のしかなかったんだけど、だんだん種類が増えてきて、今はこんなにあるらしい。


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黄色の箱のプレーンのコーンフレークは、知らなかっただけで初めからあったのかもしれないけど、オレンジの箱のホットケーキ味は当初期間限定だったような気がするなあ。
一番右端はフレークじゃなくてリング状のチョコ味タイプ。
ケロッグでいうところの「チョコワ」ですな(パクリぢゃないか笑)。
そしてフレークが230g入に対して、170g入と少ない。
これは・・・充てん機械の都合なのか(袋に同じ量入れると袋が閉じられないとか)?
それともコストが高いのか(量を抑えて、ほかの種類と同じ価格にする戦略か)。
まあ、どちらにせよ、少し損した気分になります。
個人的にはホットケーキ味が一番おいしいかなぁ。
メープルのようなフレーバーが、砂糖がけタイプにプラスアルファしてある感じ。


このほかにも、小さい袋タイプやメガ(!)タイプがあるらしい。
メガは見たことないんだよなあ。
一度買ってみたいんだけど、どこで売ってるんだろ。


で、これ以外にも期間限定味というのがありまして。
まずはメロン味。


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…うーん、メロンとコーンフレークという組み合わせはいったいどうなんだろうか。
ホットケーキ味にしても、メープルシロップを本当にかけてますとは全然思ってないですよ。
なんらかのフレーバー(香料)としてすこーし入れてるだけ、というのがたいていの「~味」ですよね(え、違う?)。


まあともあれ開けてみましょうかね。


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ほう、中袋もメロン色か(笑)。
なかなかこだわりますねえ。


そして中身は、と。


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…ん。
普通だ。
見た目は普通の砂糖がけとほとんど変わらないな。
味は…うーむ、ほんんんんんんんんんんのりメロンの味がするかも?という感じ(笑)。
香りはそれなりにメロンっぽいけど、味付け的にはほとんど感じられない。
別に不味くはないけど、わざわざ買うほどでもない、というところかな。
100点満点なら、60点ですかね。



続いてはピーチヨーグルト


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なんで「ピーチ」でも「ヨーグルト」でもなくて、組み合わせちゃったんだろうね(笑)。
ピーチなら期待できそうだったのに、ヨーグルトが入って一気にマイルドになったというか。
別にヨーグルトそのものが嫌いなわけじゃないですけど(むしろ好きですが)。


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先程のメロンの画像と同じだろ、と突っこむ方もいらっしゃるかと思いますが、日付をきっちりタグ付けしてもいいくらい違う日に撮ってますよー(^^ゞ
要は、メロンもピーチヨーグルトも中袋の色は同じとな。
ま、期間限定だからこれくらいのコスト削減は仕方ない!
と、企業論理に理解を示してみたりして。


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そしてこれまた中身の見た目は普通。
チョコのようなインパクトのある見た目も欲しいところだけどなあ。
袋から出したら、超どピンクとか…。


味ですが、さっきのメロンよりは強い味付けかも。
でもピーチよりもヨーグルト味のほうが強く感じるかな。
というかピーチヨーグルトじゃなくて「ピーチラテ」のような…。
こちらもわざわざ買うほどでもありません評価で(笑)。
100点満点なら、ちょっとオマケして75点


ちょっと辛めの評価(?)でしたが、また期間限定が出たら買うというチャレンジ精神は捨てずにいきたいと思います。
新しい味の世界を探しに!


冬の曇り空の下を虹の自転車で走る。

しばらく前だけれど、江戸川区の今井児童交通公園に行ったので、そのことでも書いておこうかと。


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自動車教習所みたいな周回コース(500m)が作ってあって、いわゆる子どもたちが交通ルールを学ぶための公園です。
といっても、自転車と足こぎゴーカートが入り乱れて走るので、事実上ルールもへったくれもないわけですけど(笑)。
信号はひとつしかないし。
ちなみに入園料とかはない。
というか入口がたくさんある。


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橋の上は走れません。
歩くだけ。
お父さんお母さんが上から、下を走る子どもたちの写真をとるスペースかも。
建物の中はテーブルとベンチ、自販機などがあって休憩できるようになってますが、いかんせん日が当たらないので超寒い。
そのうえ、節電で照明がつかないので、さらに寒く感じる。
せっかくお弁当持ってきて、お弁当はおいしいのに、おいしくない気がする。
ちょっと残念。
そうそう、お昼になると自転車やカートの整理なんかをしているおじさんたち(嘱託職員?)が、いなくなったと思ったら、事務所でお昼食べてた。


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まだフラフラ走っている子どもには、大人が後ろから歩いてついていったりするので、車道を歩行者が埋めているという、ある意味シュールな光景が(笑)。


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公園だからブランコやすべりだいもあるよ。
下の娘はすべりだいを何十回と滑ってました
すべりすぎだよ。


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最初は普通に滑っていたけど、ほかの子がこんな滑り方したら、すぐ真似てすべってた。
ホント子どもはすぐ真似するよね。
ま、そうやって言葉とか憶えていくのだけど。


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ここは車が入れないのに、駅とかのロータリー風。
工事とか設備の関係車両が回るためかな。
あ、でも三輪車はここしか走れない(コースにでられない)みたいだから、そのスペースかも。


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この公園の目玉がこれなのです。
レインボーサイクル。
サイクルモノレールだね。
なんと無料です。
こういう公共の公園では、あまり見たことない…というか初めて見た。
横浜コスモワールドとかむさしの村とかで見たこと&乗ったことあるけど。


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コースは大して長くない。
webサイトには214mって書いてあるね。
旧江戸川と新中川の合流地点側を工事してて、コース長もその分短くなっているらしい。
へえ、そうなのか。
身長110cm以上とかないと保護者同伴(足が届かないので)だったかな?
あ、お昼は例によって受付のおじさんたちがいなくなっちゃうので乗れません。


一生懸命こぐと、結構スピード感あります。
ただ、いかんせん古いのか、走ってるとところどころでガタガタ揺れてちょっと怖い感じも。
普通のちょっとした屋根つきの車両と、上の画像のようなてんとう虫車両があって、てんとう虫のほうが車重があるのか、ペダルが重い
周りが桜の木だから、春先とか気持ちいいかもね。




ただ走るのってそんなに楽しいかな?






Amazonで42件のレビューで平均4.5点という評価の本。
それだけランニングに興味のある人が多くて、しかもこの本がおもしろいということなのか。
表紙の裏に「読むと走りたくなる」って書いてあるけど、本当かな?


まずは内容を訳者あとがきから引用してみる。



「この本は三つの物語をひとつに融合させたものだ。ひとつは、足を痛めた冴えないランナーである著者がメキシコの銅峡谷(バランカス・デル・コブレ)でカバーヨ・ブランコと呼ばれる幽霊を見つけ出し、史上最強の”走る民族”タラウマラ族の秘術を探る話。もうひとつは、多くのランニングシューズが人間の足に悪影響をおよぼしていることや、人間の身体がもともと走るようにできていることを、バイオメカニクスや人類学などの科学的な説明をまじえて解き明かす話。そして見つめは、タラウマラ族と世界最速のウルトラランナー、スコット・ジュレクをはじめとする七人のアメリカ人がメキシコの高野で激突するレースの話だ。」(P412)



先の物語は上記の3つの疑問を解き明かす内容にそって書かれている。
1.タラウマラ族はなぜ走っても故障しないのか?
2.人間はなぜ(なんのために)「走る」のか?
3.タラウラマ族はなぜ長い距離を走れるのか?




1.タラウマラ族はなぜ走っても故障しないのか?


「『タラウマラ族は偉大なランナーじゃない。(中略)彼らは偉大なアスリートだ。このふたつはぜんぜんちがう』ランナーは組み立てラインの工場労働者で、ひとつのこと---一定のスピードでまっすぐ進むこと---には長け、酷使されて機械が故障するまでその動きをくりかえす。アスリートはターザンのようなものだ。ターザンは泳ぎ、格闘し、ジャンプし、つるにぶら下がる。強靭で爆発的だ。ターザンがつぎに何をするかは予想がつかず、だからこそ彼はけがをしない。」(P303)


ターザンがつぎに何をするか予想がつかないのは、彼の生活圏ではつぎに何が「起こるか」わからないからだ。
だからこそ、何が起こっても対応できるように、全身が強化されている。
ケガばかりしていた時期の著者のように、都会の整備された舗装道路を高価なシューズを履いて走り回っていると、使う身体の部位は自ずと限定的になり、それ以外の部位を使った瞬間、故障する。
全身の強化はトレーニングだけでなく、食事、シューズも含めて。
特にシューズについての記述は興味深い!
大手シューズメーカーが調査し続けた結果、たどり着いた故障しないためのシューズの条件とは・・・



2.人間はなぜ(なんのために)「走る」のか?


古代、氷河期を経て世界の気候が温暖となり、峡谷が狭まり、森が消え、草原が増えると、狩りは獲物を「待ち伏せ」するのではなく「追いかける」ものになった。
そこで必要なのは、それまで繁栄していたネアンダルタール人の筋骨たくましく寒さに強い屈強な肉体でなく、獲物が走り疲れて倒れるまで追い続けるホモ・サピエンスの「持久力」だった!
暑い夏、犬の散歩に出たとする。
しばらくジョギングをしながら散歩を続けると、人間よりも犬の方が先に走れなくなる。
これは、彼らに発汗という体温を下げる機能がなく、短時間のスピードはあっても長時間走り続けると体温が上がり続けてしまい、結果として体機能不全となってしまうから。
だからだだっ広い原っぱで獲物を捕えるために---生きるために---「走る」力を身に付けたのだ。


「食べる」ことは、飢餓によるストレスから逃れられる。
アメリカで起きた現代のランニングブームは3度あり、それは
1.大恐慌時代
2.ベトナム戦争、冷戦、人種暴動、大統領の犯罪、敬愛された三人の指導者の暗殺、
3.9月11日のテロ攻撃の一年後

だ。
ストレスを解消するために走り、またその走りから来る快感が人を走らせる。
「走ることはわれわれの根本的なふたつの衝動、恐れと喜びを結びつけるのだ。われわれは怖くなると走り、有頂天になると走り、自分の抱える問題から走って逃げ、楽しい時間を求めて走りまわる。」(P18)
まさに、古代の欲求が今でもホモ・サピエンスに受け継がれているのである。



3タラウラマ族はなぜ長い距離を走れるのか?


草原で獲物を追い求めたホモ・サピエンスだが、当然彼らにも捕食者がおり、また獲物にも別の捕食者がいた。
そして獲物もまた進化して、簡単に追いかけられないように群れを伴って行動するようになった。
獲物は群れのなかに混じったり、分散したりしながら休み休み逃げ続ける。
彼らは獲物が疲れるまで追いかけ続けなければ、スピードの違いで捕らえられないのだから。
そして、追いかけるのに夢中になりすぎて体力を失い走れなくなれば、彼ら自身がライオンやヒョウといった捕食者たちの餌食となるのだ。
逃げる体力を残しつつ、獲物を効率的に追わなければならない。
彼らは次第に複数人で、獲物が単独で走り続けるよう、追い込むがごとく追いかけるようになった。
そして複数人で追いかける以上、彼らも群れを形成するようになった。
当然、女性や子どももいる。
獲物を求めて移動して行くからには、当たり前のように女性や子どもも走らなければならない。
じっとして待っていれば、それこそ捕食者の格好の「獲物」になってしまう。
捕食者から逃げるために、そして獲物を追いかけ続けるために、彼らは長時間走り続ける必要があった。


「タラウマラ族にとて、それは日常にすぎない。タラウマラ族は洞窟を離れるたび、未知の世界に足を踏み入れることになる。うさぎを追ってどれだけ速く走る羽目になるか、薪をどれだけもち帰ればならないか、吹雪のなかの登りがどれだけ厄介になるか、まったくわからないからだ。子供のころに直面する最初の何題は、崖の縁で生き延びることであり、最初にして生涯にわたる遊び、あの球戯は、不確実性の訓練にほかならない。木のボールを岩の山の向こうに運ぶには、突進し、ゆるやかに駆け、減速し、全力で走り、溝に飛び込み、跳び出ていく態勢をいつでもつくっておく必要がある。」(P304)


生き残るために、「走る」のだ、と。



この本におけるタウラマラ族の位置づけとは、いわゆる現代の都会に暮らす人々に対するカウンターパートだ。
都会の整備された舗装道路を高価なシューズを履いて走り回るも、たった数キロでケガをしてしまう人々と対比されている。
つまりその人々の代表として本に出てくるのが著者であり、そこから抜け出してタラウマラ族の方法を取り入れようと近づいたのがカバーヨ・ブランコであり、むしろ自らの力だけでタラウマラ族へのアプローチへ重なっていったのがスコット・ジュレクである。
カバーヨ・ブランコやスコット・ジュレクがどうして走り続けるのか、タラウマラ族への憧憬を持ってやまないのか、そして著者も含めて、カバーヨ、スコットらがタラウマラ族と臨むレースのドキュメンタリーである最終章は、ここまで読んできた人なら一気に読んでしまうほどの高揚感だ。


ところで、走り続けた結果、何度も足を痛めた著者はこの分野で権威ある医者に
「どうして私の足は痛むのか?(ハウ・カム・マイ・フット・ハーツ?)」(P12)
と訊いた。対して医者は
「人間の身体はそのような酷使に耐えられるようにはできていない。」「とくにあなたの体は」(P14)
と答えている。
最後まで読んだあと、この部分について「そういう医者でもわからない(知らない)ことなのか」と思ったけれど、実は「あなたの体のままじゃ、走れません(獲物を捕らえられませんよ)」という意味だったら、最初から答えは出てたよね!的でおもしろいなと思ってしまった(笑)。



現代人の病気の大半は走る必要がなくなったことから生まれている。
「宇宙飛行士は地球に帰還したとき、数日間で何十歳ぶんも老化していたのだ。骨は弱くなり、筋肉は萎縮した。(中略)身体が果たすべき仕事を奪い、その代償を払っている。西洋における主な死因---心臓病、脳卒中、糖尿病、鬱病、高血圧症、十数種類の癌---のほとんどを、われわれの祖先は知らなかった。」(P349)
果たして、その病気を治す特効薬とは・・・
「脚を動かせばいい。走るために生まれたと思わないとしたら、あなたは歴史を否定しているだけではすまない。あなたという人間を否定しているのです」(P350)




一人でできることは限られていると知っているかどうか。





サッカー日本代表、遠藤保仁選手の著書。
サッカー選手が自分で書いてこんなにすらすら書けるとは思えない(失礼!)ので、インタビューの再構成なんじゃないかと思うけど、まあそれは些細なこと。
なかなか興味深いことも書かれていて、インタビューならよく引き出したと思う。
というわけで感想。



構成は4章に分かれていて、1.南アフリカワールドカップについて、2.過去の代表について、3.日本のサッカーについて、4.現在の代表について、となっている。
で、1と2と4はエピソードが大半で、リアルタイムで見ていた側から見れば読み物としては面白いんだけど、あんまり考えさせられるような話はない。
家族に対する考え方や接し方、アスリートとしてケガ対策をどうしているか、が少しなるほどと思うくらい。
もちろん試合中の裏話なんかは、サッカーファンとしては面白いんだけど。



ということで、感じるところが多かったのは3なんだけど、その前に1と2と4でもピンときたところをいくつか。



P28 「これぐらいの時期に、選手はけっこう怪我をする。ワールドカップ・イヤーなだけに、つい無理をしてしまうのだ」

怪我をしやすいのが、大きな試合の前に多いという捉え方かと。
大きな仕事に取り組んでいるときでも、ずっとその仕事にとりかかれるわけじゃないから、ほかの仕事をしながらになる。
だからその大きな仕事を中心に向き合っている時はいいけど、ほかの仕事でトラブルが起きたりして、ちょっと目を離すと、チェックが粗くなって最終的にミスにつながることがある。
あと、連休明けや夏休み明けはなかなか仕事モードに切り替わらなくて、やっぱりチェックが粗くなる。
そういや現代表監督のザッケローニも代表のWEBサイトのコラムで「試合勘を失っている」ということについて、「試合に出ていない、というのは技術やコンビネーションなどの面(いわゆるテクニックだろうか)では心配していない。むしろ怪我をしたあとに、ケガの前と同じようなパフォーマンスができるかどうか、また1試合を通してそのパフォーマンスが発揮できるかどうか(おそらくフィジカルのことだと思われる)をチェックする、というようなことを言っていた気がする。
人は張り切ったり油断したりすると、ミスをしやすいってことなんだよね。
一言で言うと当たり前のことなんだけどねえ。



P86 「ザースフェーは標高1800メートルのところにあるんだけど、ここの合宿は本当に苦しかった。最初は、激しく動けば息切れがするし、軽い頭痛もあった。選手の中には、オカのようになかなか順応できず、体調自体、壊してしまう選手もいた。とにかく通常よりエネルギーの消費が速く、キツかった。」

自分もバスケットボールをプレーしていて思うのは、いくらテクニックがあってもコンディションができてないとそのテクニックを発揮できないことが非常に多いということ。
いつも普通にできるプレーがなぜかうまくいかなかったり、判断ミスなんかも鼻がつまって呼吸しずらいとか、ちょっと睡眠不足だとかいう「ほんのちょっと」のことが意外と影響しているように思う。
遠藤選手のようなトップアスリートにとって、少しのコンディションの差がプレーの質にどれだけ影響するのかは、ちょと想像つかないけど、少なくとも自分で感じる限りは体調がいいほうが「いつもできてることがきちんとできる」状態になりやすいかなと。
この引用部の後に高地トレーニングの内容とその効果が少しずつ書かれているのだけど、科学的に専門家の下でトレーニングしたことでいいコンディションを確保できた、とあり、高地での対戦だったカメルーン、デンマークに勝利したのはそういった対策が実を結んだとも言えるのかもしれない。
まあ結果論と言われればそうなんだろうけど。



P125 「ここ5、6年、目新しいことはほとんどやってこなかったし、そういう機会もなかったから。まわりにも、教えてくれる人はいなかった。この時間をもうちょっと真剣に取り組んでいたら『もっと成長できたのに』と思った。」

ある程度その物事に成熟してくると、大きいことや派手なことも、実際は小さいことや細かいことの積み重ねなのが見えてきて、ひたすらそういう方向で磨きをかけることが多くなるとは思う。
たとえばバスケットボールで言うと、ディフェンスのキモは読みだ、なんて話があるのだけど。
それは確かに相手が動いてからこっちが動いたのでは、どうしても後手に回ってしまうから、相手のプレーに追いつくためにも「先を読む」ということが大事、というのはわかる。
だけど、いくら相手の動きを読んだからって付いていけるかどうかは別問題。
毎日毎日地味なフットワークを鍛える練習をしているからこそ、相手の動きを読んだ際にきっちり追いつける。
ダンクシュートも実は難しい。
背が高くてジャンプ力があれば素人でも出来るだろ、と思われがちなのだが、その場でジャンプするならともかくランニングしながらだと、ジャンプしながらボールを持ち上げてゴールに叩き込む動作には、ゴールの位置にきっちり合わせてジャンプするスキルと、ボールを正確にゴールの位置に叩き込むスキルが必要で、動きながらいろんなことをいっぺんにしなくちゃならない。
これは普段から普通のランニングシュートの練習を何十回としていないと、ボールを叩き込む位置がズレてリングに当たってしまったり、ジャンプのタイミングが合わずゴールに届かなかったりする。
ちょっとたとえが長くなったけど、派手なプレーの裏には基礎の積み重ねが必ずあるということを一流ほど知っているので、熟練するほど基礎練習の時間が長くなったりするわけで、そうなるとやっぱり新しいことをわざわざ取り入れようって気にはならないのかな、と。
ただ、実際は歳をとるとプレーの正確性も変わってくるし、スピードも失われてくるから、失った分新しいものを身につけないと生き残れないという意味で、リスクを背負ってでも新しいことにチャレンジしないとしないことが逆にリスクになってしまうということがある。



ここまでが1,2,4。
次にもっともいろいろ感じるところの多かった3。



P128 「いろんな準備をしてきて、相当の努力をして、試合で全力を出し切って、なおかつ運も引き入れて、やっと勝利をすることができる感じだった。」

なおかつ運も引き入れて、というところがふむ。
「強いから勝つのではなく、勝った者が強いのだ」ということだよね。
もちろん、できることは全部やった、という前提ではあるけど。
これに気づいてると勝負の「流れ」っていうのが見えてくるような気がする。
だから勝ってる試合でも流れが悪くなりそうなら違うことをやってみるし、負けてる試合でもこの流れで行けば逆転できる「流れ」ならそのままずっと続ける、ような。
多少の力の差があったとしても勝負は「時の運」ということをわかっていると、「流れ」は「運」が握っていると認識していて、変えようとしてうまくいくこともいかないこともあって、それは実力よりも運の影響するところだとわかっているから、そういう行動をとる。



P133 「現役生活が短いから、稼げる時間は野球選手ほど長くない。(改行)だから中途半端にサッカーをするのではなく、『すべてを捧げるぐらいの覚悟でサッカーするべきでしょ』と、そう言いたい。」

現役生活が短い、というのはサッカー選手にとって人生における最大のリスクだろうね。
それを踏まえて、稼げる時間に人生の大半を注ぎ込むというのは妥当な考えでもある。
けど、本人は3人も子どもがいて、意外と子煩悩らしい。
まあ、何を大切にするかは個人の自由だし、そういった部分も人生なのだから、こう言われても結局人それぞれでいい。
ただ覚悟は確かに大事だと思う。
自分がどういう人生を進むかを決めるのは、考えや行動ではなく覚悟なんじゃないかな。



P135 「今の若い選手は『自分はこうなんです』、『こうしたいんです』というのをあまり言わないし、自分に何が求められているのかも聞きにいかない。」

なんとなく気持ちはわかるなあ。
やっぱり「空気読めよ」の世代なのかなあ。
あんまり自分がやたら目立つようなことをしない、というか。
「自分に何が求められているか」というのは「与えられたものをやっておく」のほうが優先順位が高いからかと。
飽食の時代って感じのような。
でも「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」だしなあ。



P146 「面白かったのは、意識の高い選手とそうでない選手がハッキリ見えるようになったということだ。例えば、右サイドから左サイドにボールを運ぶとする。相手を誘うためにゆっくり出すという意図があるならいい。でも何も考えていない選手は、ただゆっくり回すだけで打開しようとする意識を持っていない。単に、回すことに満足しているのだ。」

行動に必ず意図をもたせる、というのは非常に重要なことだと思う。
なぜその行動をとったのか?を突き詰めないと、行動のスピードや精度が上がらない。
営業マンでも他部署や顧客を説得するとして、話す内容やそのタイミングに意図をこめていないと、話に力がない。
だから話に説得力がなくて、相手を動かせない。
「なぜ今、その内容の話をどうして私にしてくるのか?」というのがなく、なんとなく話している人ほど、訪問先の選択もなんとなくだし、数字の積み上げもなんとなくとしか捉えられないから、なぜ数字が上がらないのかもなんとなくでしか読み取れないから、曖昧な説明しかできない。
できる人は電話一本でも意図をこめる。
パス一本でもと同じことだと思う。



P172 「クールに黙々とプレーするだけが『格好いい』とは、まったく思わない。表現することは、サッカーではコミュニケーションを取ることと同じだ」

とあるんですけど、この部分はちょっと違和感。
というのも第二章でフィリップ・トルシエが代表監督時代のエピソードで
「とにかく『ファイトしろ』『闘志を見せろ』が口癖で、その姿勢を見せることを選手に要求した。(中略)俺はそういうのが一番苦手だった。(中略)とりあえず戦うポーズさえ見せれば高く評価されるというのは、どうにも納得がいかなかった」
とあって、正確なニュアンスはちょっとわからないから、本当はそうじゃないのかもしれないけど、そういうやる気を見せるのもコミュニケーションじゃないの?というツッコミが・・・。
いくらなんでも代表に下手だけどやる気ある選手を入れる、というのはトルシエの「結果を出さなければいけない」立場からして考えにくい行動かと。
ということなら、ある程度実力がある(と判断した)選手を集めて、その中からやる気のある選手を選別するのは(良い悪いは別として)それほど不自然なやり方でもない。
この第二章がいまひとつなのは、結局岡田さんとオシムの評価を高くして、トルシエとジーコの評価を低くしたのは、自分を使うか使わなかったかから来る好き嫌いじゃないの?戦術や監督としての質を評価したんじゃないんじゃいないの?と思わせるところが理由かなと。
「当時の俺は、まだ若かったせいで~」というくだりもあるので、まあそこらへんは年齢と共に変わったのかな、という気もするんだけどね。




以上でございます。

読んだ時期がちょうどアジアカップで優勝した頃だったので、なかなかタイムリーでした。

出ている選手の中では最年長らしいのですが、それを感じさせない走力と大黒柱感がありました。

特にパスの精密さは、ほかの選手と比べると素人でもわかるくらいに圧倒的な違いがあると思います。

ブラジルでも観たいところですが、どうでしょうかね~。

34歳ですから・・・。

もちろん20年代表を務めた元ドイツ代表のマテウスや、38歳にして未だイタリア代表のファビオ・カンナバーロの例もあるんですけどね。




ちょろちょろ書いてたせいでアップが大晦日とは…

今年もしょうもないことばかり書いていたしょうもないブログですが、読んでいただけた方には大変感謝したいです。


来年もよろしくです。


春があれば秋もあるのが日本という国ですね。

使い古されてゴミ箱どころか、収集車で持っていってしまわれてるんじゃないか、という言葉に「スポーツの秋」とかいうのがありますが、それに則って春の大会があれば秋の大会もあるという話です。



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春の大会の様子はこちら。


<1回戦>
1Q 6-8
2Q 18-14
3Q 24-26
4Q 35-38



3点差で負け。
一言で言うと「勝てた試合」。
ま、結果負けてるから「負け犬の遠吠え」なんですけど(笑)。


1Q、2Qは悪くなかったです。
1Q。
先制したのはこちらで、いつもの序盤の悪さはあまり感じられず、スムーズに入れたと思います。
相手のディフェンスがマンツーだったので、それなりに人を動かして形は作れていたんじゃないですかね。
相手のセンターが、高さがあるもののそれほどオフェンスが上手くないのも幸いしたかも。
シュートが今ひとつなので6点しかとれなかったのはご愛嬌、みたいな感じだったんですが(笑)。


2Qは押せ押せでした。
1Qからフルメンバーチェンジしてそれが上手く嵌った感じ。
特に決め事をせずにフリーでオフェンスするチームっていうのは、メンバーの相性みたいなのが意外と重要なんですよ。
しかも普段の生活というか話し相手というか、そういう相性とはあまり関係なかったり。
ゲームのなかで「こいつがこう来るならここにパスが来るかも」が瞬時に感じられるというか。
俗に「息が合う」と言うやつなんでしょうね。
ぼくも学生時代に、普段はあんまり話さないんだけど一緒にゲームに出るとパスの出す・受けるのタイミングとかが取りやすい相手、っていましたし。
とにかくそういうのが上手くいった感じ。
ディフェンスもよく頑張って2Qは12-6と。


3Qが今回の勝負の分かれ目でした。
2Qとまたフルでメンバー変えたのが今度は裏目。
特にオフェンスでは今度はまったく「息が合わず」にグダグダ…
それに影響されてディフェンスも崩れる、といった悪循環。
特に途中から出てきた相手の8番に結構引っ掻き回されて、やられちゃいました。
ここでうまくタイムアウトとか交代とかを使えれば、ってもちろん後の祭りですけど。
3Qは6-12。
2Qの仕返しされちゃいました。


4Qはまあ特に語ることもなく。
11-12ですし、お互いあまり足が動いておらず、ディフェンスが悪くてという感じです。


ゲーム全体としては、このところ人数の集まりが悪くて練習があまりできなかったせいか、足の動いてないメンバーが大半。
それから、ゲーム勘がないというか、スピードを上げるべきところで上げられない、落ち着いて攻めるところで早くシュートしてしまう、といった状況判断が上手くできてない感じですね。
この2点、メンバー同士のミスマッチを起こして、とくに後半に影響したように見えました。
勝ちにこだわれば、練習してないメンバーは出さないという選択肢もあるかとは思いますが、まあそこは社会人のサークルみたいなもんですから楽しくやるということを優先する、というところですね。


ま、もうちょっと練習できてれば違ったかも?
でもみんな仕事とか家族サービスあるからねえ(笑)。





あなたがいるから私がいるのだということ。

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元・JUN SKY WALKERSの寺岡呼人氏が、フォークデュオ「ゆず」の「サヨナラバス」のプロデュースについて語っていた言葉を思い出す。

「僕の中の最高のポップスというのは”明るいのに涙が出る”ような曲です。」

「曲は明るいのに歌ってることはとても悲しい内容。」

「これは明るければ明るいほど悲しくなる曲じゃないかと思いました。



15歳でプロ棋士となった主人公・桐山零。

将棋の腕はまさに「天才少年」だが、幼くして家族を事故で失い、父の知り合いの棋士・幸田にあずけられていた。

その家庭はまさに「将棋一家」と呼ぶにふさわしく、彼の才能に嫉妬する義理の姉・弟に囲まれて、多感な少年時代を過ごす。

そして桐山零は川本一家と出会う…



作品全体にある雰囲気が、先の寺岡氏のコメントに近いものがあるような気がします。

家庭に恵まれていない桐山君ですが、川本一家や担任の林田先生、そして同期の二階堂君を始めとする棋士たちに囲まれていて、仲間たちは多いように思います。

しかし、彼が背負うものは仲間たちには背負わせられないものなのです。

兄姉たちが自分のせいで、将棋を諦めざるを得なかった。

いくら才能の違いが見えたとはいえ、可能性を信じる少年少女たちが素直にそんなことを信じるわけもなく。

彼には姉弟の将棋を背負い続けることを定められ、そしてそれは誰にも渡せず、姉弟達と決定的な距離感を作ってしまっているのです。


Chapter38 後ろから2ページ目 あかりさんのモノローグ
「ひとつ屋根の下に十数年…
---なのに
あの時の2人からはほんの少しだって姉弟の匂いなんてして来なかった
そうか 零くん…
---だから
あなたはその家を出たのね」



この背負うものの重さが、この物語を重くそして苦しいものにしているもののひとつでしょう。

しかしながら、この重さを(逆説的に)さらに重くしているのが川本一家、そして林田先生や棋士仲間です。


Chapter12 最終ページ ひなちゃんのモノローグ
「れいちゃんはいつも静かで大人っぽいけれど
でも泣きむしな所もあるから心配なの---だから」



Chapter60 9~10ページ目 桐山君のモノローグ
帰り道 先生は
教師の意地だと言って肉まんをおごってくれた
---そして僕は
「ズレてる」とか「がんこ」だとか
悪口ばかり言われた
そして背中をたたかれた



Chapter14 12ページ目 二階堂君
桐山っっ聞こえているか!?
もっと自分の将棋を---
自分を大切にしてくれっっ
桐山っっ



桐山君は何か自分がすごい孤独なように感じているようなのですが、見る限り全然そんなことはなくて、むしろ世間一般的に見ても、周りの人に恵まれた環境にいると思うのです。

その優しさがその背負ったものの重みひどく感じさせるのです。



今回のエントリのタイトルの話を書こうと思います。

スポーツとか将棋もそうですが、勝敗のあるものっていうのはすごくわかりやすいものがあります。

それはライバル

じゃあライバルってなんなの?と。

解釈は分かれるところだと思いますが、ぼくは「お互いに認知しているもの」だと思います。

勝手にライバルだと思っている、というのもごくまれにありますが、それはライバルだとは思えません。

実力に差があっても、認知されていることが重要だと思うのです。

作中で桐山君のライバル二階堂君。

彼は病気というハンデを背負いつつ指し続けます。

誰にも背負ってもらえないものをもっているという点では、桐山君と一緒で、作中で二階堂君がそれを指摘する場面はありませんが、きっと気づいているのではないでしょうか。

だから「ライバル」だと。

先の「自分を大切にしてくれ」は実は自分に向けたものかもしれません。

そしてChapter63にて新人戦決勝を戦う桐山君の脳内に響く声。

それが誰に向けられたものなのか、背負ったものの重さをともに感じてくれるのは誰か。

桐山君は気づいたのだと思います。

勝った桐山君を、病室でネット中継を観ながら、毒づきつつ祝福する二階堂君は、それまで桐山君が勝ったのを見た時とは違い、素直にライバルの勝利を喜んでいます。



人は自分一人ではいられない、というのは少し大人になればみんなうすうす気づいていることなんですけど、一人暮らしとか始めちゃうと、「うすうす」のまま時を重ねてしまう気がします。

自分が誰かなんて当たり前のことのようにわかっていると思いがちですが、実は違います。

誰かが「あなたは○○さんね」ときづいてくれてこそ、あなたはあなたでいられるのです。

桐山君も家庭の中で、自分が自分と認められなくなっていく中で、二階堂君と出会い、林田先生と出会い、川本一家と出会った。

将棋しかない、と思っていた桐山君を「ライバル」として認めた二階堂君。

将棋の世界では有名ながらも、教師や生徒たちにそれを知られていないがために、また認知されることで姉弟と同じような関係が生まれることを恐れて(本当はそんなことはないのに)いた高校生・桐山君を、棋士であることを認めながら高校生としても認知してくれた林田先生。

そして棋士以外のひとりの高校生・少年として認めてくれ、そして「友達」としても認めてくれた川本一家。

誰もが桐山君を認めることで、桐山君は桐山君足り得ることに、桐山君は気づかされたのです。

ぼくらも同じです。

あなたが相手を認めるからこそ、相手もあなたを認めてくれる。

相手が認めない世界では、自分はいないのと同じです。

「人間は孤独だ」「人間は一人では生きていけない」両方とも真理かと思いますが、どうも言葉が上滑りしているような気が・・・



悟りでもなく、依存でもなく。

ぼくはあなたをあなたと認めるよ、だからぼくを認めてくれよ。

ただ認知するだけでよい。

(もちろんその先踏み込むこともあると思います)

「ライバル」も「友達」も呼び名が違うだけで一緒なのです。

常に相手を認め、認めてもらうように努力すること。

そんな関係をいつも作っていきたいものだと思います。


あ、あとひとつだけ。

個人的には一巻で出てきた、あかりさんのドレス姿をまた見たいわけですが(笑)、はたして再登場はあるのでしょうか・・・ぜひ期待!












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