ただ走るのってそんなに楽しいかな?
Amazonで42件のレビューで平均4.5点という評価の本。
それだけランニングに興味のある人が多くて、しかもこの本がおもしろいということなのか。
表紙の裏に「読むと走りたくなる」って書いてあるけど、本当かな?
まずは内容を訳者あとがきから引用してみる。
「この本は三つの物語をひとつに融合させたものだ。ひとつは、足を痛めた冴えないランナーである著者がメキシコの銅峡谷(バランカス・デル・コブレ)でカバーヨ・ブランコと呼ばれる幽霊を見つけ出し、史上最強の”走る民族”タラウマラ族の秘術を探る話。もうひとつは、多くのランニングシューズが人間の足に悪影響をおよぼしていることや、人間の身体がもともと走るようにできていることを、バイオメカニクスや人類学などの科学的な説明をまじえて解き明かす話。そして見つめは、タラウマラ族と世界最速のウルトラランナー、スコット・ジュレクをはじめとする七人のアメリカ人がメキシコの高野で激突するレースの話だ。」(P412)
先の物語は上記の3つの疑問を解き明かす内容にそって書かれている。
1.タラウマラ族はなぜ走っても故障しないのか?
2.人間はなぜ(なんのために)「走る」のか?
3.タラウラマ族はなぜ長い距離を走れるのか?
1.タラウマラ族はなぜ走っても故障しないのか?
「『タラウマラ族は偉大なランナーじゃない。(中略)彼らは偉大なアスリートだ。このふたつはぜんぜんちがう』ランナーは組み立てラインの工場労働者で、ひとつのこと---一定のスピードでまっすぐ進むこと---には長け、酷使されて機械が故障するまでその動きをくりかえす。アスリートはターザンのようなものだ。ターザンは泳ぎ、格闘し、ジャンプし、つるにぶら下がる。強靭で爆発的だ。ターザンがつぎに何をするかは予想がつかず、だからこそ彼はけがをしない。」(P303)
ターザンがつぎに何をするか予想がつかないのは、彼の生活圏ではつぎに何が「起こるか」わからないからだ。
だからこそ、何が起こっても対応できるように、全身が強化されている。
ケガばかりしていた時期の著者のように、都会の整備された舗装道路を高価なシューズを履いて走り回っていると、使う身体の部位は自ずと限定的になり、それ以外の部位を使った瞬間、故障する。
全身の強化はトレーニングだけでなく、食事、シューズも含めて。
特にシューズについての記述は興味深い!
大手シューズメーカーが調査し続けた結果、たどり着いた故障しないためのシューズの条件とは・・・
2.人間はなぜ(なんのために)「走る」のか?
古代、氷河期を経て世界の気候が温暖となり、峡谷が狭まり、森が消え、草原が増えると、狩りは獲物を「待ち伏せ」するのではなく「追いかける」ものになった。
そこで必要なのは、それまで繁栄していたネアンダルタール人の筋骨たくましく寒さに強い屈強な肉体でなく、獲物が走り疲れて倒れるまで追い続けるホモ・サピエンスの「持久力」だった!
暑い夏、犬の散歩に出たとする。
しばらくジョギングをしながら散歩を続けると、人間よりも犬の方が先に走れなくなる。
これは、彼らに発汗という体温を下げる機能がなく、短時間のスピードはあっても長時間走り続けると体温が上がり続けてしまい、結果として体機能不全となってしまうから。
だからだだっ広い原っぱで獲物を捕えるために---生きるために---「走る」力を身に付けたのだ。
「食べる」ことは、飢餓によるストレスから逃れられる。
アメリカで起きた現代のランニングブームは3度あり、それは
1.大恐慌時代
2.ベトナム戦争、冷戦、人種暴動、大統領の犯罪、敬愛された三人の指導者の暗殺、
3.9月11日のテロ攻撃の一年後
だ。
ストレスを解消するために走り、またその走りから来る快感が人を走らせる。
「走ることはわれわれの根本的なふたつの衝動、恐れと喜びを結びつけるのだ。われわれは怖くなると走り、有頂天になると走り、自分の抱える問題から走って逃げ、楽しい時間を求めて走りまわる。」(P18)
まさに、古代の欲求が今でもホモ・サピエンスに受け継がれているのである。
3タラウラマ族はなぜ長い距離を走れるのか?
草原で獲物を追い求めたホモ・サピエンスだが、当然彼らにも捕食者がおり、また獲物にも別の捕食者がいた。
そして獲物もまた進化して、簡単に追いかけられないように群れを伴って行動するようになった。
獲物は群れのなかに混じったり、分散したりしながら休み休み逃げ続ける。
彼らは獲物が疲れるまで追いかけ続けなければ、スピードの違いで捕らえられないのだから。
そして、追いかけるのに夢中になりすぎて体力を失い走れなくなれば、彼ら自身がライオンやヒョウといった捕食者たちの餌食となるのだ。
逃げる体力を残しつつ、獲物を効率的に追わなければならない。
彼らは次第に複数人で、獲物が単独で走り続けるよう、追い込むがごとく追いかけるようになった。
そして複数人で追いかける以上、彼らも群れを形成するようになった。
当然、女性や子どももいる。
獲物を求めて移動して行くからには、当たり前のように女性や子どもも走らなければならない。
じっとして待っていれば、それこそ捕食者の格好の「獲物」になってしまう。
捕食者から逃げるために、そして獲物を追いかけ続けるために、彼らは長時間走り続ける必要があった。
「タラウマラ族にとて、それは日常にすぎない。タラウマラ族は洞窟を離れるたび、未知の世界に足を踏み入れることになる。うさぎを追ってどれだけ速く走る羽目になるか、薪をどれだけもち帰ればならないか、吹雪のなかの登りがどれだけ厄介になるか、まったくわからないからだ。子供のころに直面する最初の何題は、崖の縁で生き延びることであり、最初にして生涯にわたる遊び、あの球戯は、不確実性の訓練にほかならない。木のボールを岩の山の向こうに運ぶには、突進し、ゆるやかに駆け、減速し、全力で走り、溝に飛び込み、跳び出ていく態勢をいつでもつくっておく必要がある。」(P304)
生き残るために、「走る」のだ、と。
この本におけるタウラマラ族の位置づけとは、いわゆる現代の都会に暮らす人々に対するカウンターパートだ。
都会の整備された舗装道路を高価なシューズを履いて走り回るも、たった数キロでケガをしてしまう人々と対比されている。
つまりその人々の代表として本に出てくるのが著者であり、そこから抜け出してタラウマラ族の方法を取り入れようと近づいたのがカバーヨ・ブランコであり、むしろ自らの力だけでタラウマラ族へのアプローチへ重なっていったのがスコット・ジュレクである。
カバーヨ・ブランコやスコット・ジュレクがどうして走り続けるのか、タラウマラ族への憧憬を持ってやまないのか、そして著者も含めて、カバーヨ、スコットらがタラウマラ族と臨むレースのドキュメンタリーである最終章は、ここまで読んできた人なら一気に読んでしまうほどの高揚感だ。
ところで、走り続けた結果、何度も足を痛めた著者はこの分野で権威ある医者に
「どうして私の足は痛むのか?(ハウ・カム・マイ・フット・ハーツ?)」(P12)
と訊いた。対して医者は
「人間の身体はそのような酷使に耐えられるようにはできていない。」「とくにあなたの体は」(P14)
と答えている。
最後まで読んだあと、この部分について「そういう医者でもわからない(知らない)ことなのか」と思ったけれど、実は「あなたの体のままじゃ、走れません(獲物を捕らえられませんよ)」という意味だったら、最初から答えは出てたよね!的でおもしろいなと思ってしまった(笑)。
現代人の病気の大半は走る必要がなくなったことから生まれている。
「宇宙飛行士は地球に帰還したとき、数日間で何十歳ぶんも老化していたのだ。骨は弱くなり、筋肉は萎縮した。(中略)身体が果たすべき仕事を奪い、その代償を払っている。西洋における主な死因---心臓病、脳卒中、糖尿病、鬱病、高血圧症、十数種類の癌---のほとんどを、われわれの祖先は知らなかった。」(P349)
果たして、その病気を治す特効薬とは・・・
「脚を動かせばいい。走るために生まれたと思わないとしたら、あなたは歴史を否定しているだけではすまない。あなたという人間を否定しているのです」(P350)






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